『開けた世界』
特筆すべき2人の友人
大学進学に伴い、京都に移り住んだ。
最初の1年を男子寮で、残りを下宿での一人暮らしで過ごした。
はじめのうちは「人生初の都会暮らし!」と意気込んでいたが、
だんだんと現実に直面していく。
私たちの大学は京都市でも街のはずれ、北端にあったのだ。
結果として生活の大半は大学と自宅の往復になった。
大学に通い始めてまず印象に残ったのは、集まってくる人たちの多様さである。
地理的な問題ゆえ他の大学との接点が薄く、学内の人との交流がメインではあったが、
それでも様々な出自、性格を持った人々がいることは十分に感じられた。
そしてそれは、高校卒業までの18年間を地元で育ってきた自分にとって大きなインパクトだった。
そうした出会いの中でも特に大きな影響を受けた人物がいる。
ここではK君とT君と呼ぶことにする。
まずK君についてだが、彼とはサークルを通じて知り合った。
彼の最大の特徴は、「芯の通った人物である」ということだ。
過去についての記事で述べたように、確固たる自分像がなかった私は、確固たる理想像も持ち合わせていなかった。
彼は金融機関に勤める父親の影響からか、非常に落ち着いた人物だった。
そして、自分の考えは容易に曲げない芯の通った人物でもあった。
そんな彼の姿を見るうちに、自分の流儀や主張について考えるようになった。
このことは、今の自分を形作るうえで非常に重要なプロセスだったと感じている。
次にT君は、同じ学科に在籍していた友人である。
彼とは考え方や性格がよく似ており、よく行きつけのラーメン屋や自宅で学校のことや将来のこと、その他諸々を語り明かした。
そんな彼の特徴は、いろいろと手を出してみる点である。
ロードバイクに旅、サークルの企画など彼は多くの経験を重ねていた。
それに影響を受けた私は、1人であちこちを飛び回るせわしない人間へと変貌を遂げていく。
また、彼は何といってもめちゃくちゃ面白かった。
常に何かしらのエピソードに見舞われていた彼の話はよく私を笑わせた。
そのおかげでネガティブな状況から救い出されることも多々あった。
“生み出す側”との出会い
私は大学を通じ友人に恵まれると同時に、それ以外の出会いにも恵まれた。
たった3つ年上なのにサービスを立ち上げた女性社長、夢を語れる環境を広めたいとのコンセプトを持つラーメン屋、
週末だけオープンするバーガーショップなどなど、数えだしたら両手の指の数では足りない。
そしてそれらの出会いは、自力で生み出す、営む、企てるといったことを間近で見せてくれた。
というより見せつけられた。
そうした出会いを重ねるうち、自分も“生み出す側”へ回りたいと思うようになったし、
心象的なハードルも大きく下がった。
サークルでの活動
自身の体験の中でも、「生み出す側へ回りたい」という思いを深めるきっかけがあった。
サークルの土台作りである。
私は最初から野球サークルに入ろうと決めていた。
そして友人から誘いを受け、自分たちで新たに野球サークルを作ることになった。
学内には既にいくつも野球サークルが存在しており、どのくらい存続させるかとか後輩を入れるかといったことは一切考えていなかった。
仲間内で集まって活動する、同好会のようなサークルだった。
しかし3年生の春、事態は大きく動いた。
組織の安定的な運営のため新入生を募集することになり、私はその中で勧誘、広報の責任者となったのである。
TwitterやLINEを使って練習場までのアクセスやサークルの特徴を発信し、右も左も分からない中がむしゃらに勧誘を行なった。
結果としてメンバーは倍増、後輩たちの頑張りで現在は学内でも有数の規模を誇るまでに発展した。
この経験は私に、“ゼロから何かを生み出しそれが発展する”ということの面白さを教えてくれた。
まだ知らない世界
大学3年生になり、あっという間に就職活動の当事者になった。
それまでに“企てること、生み出すこと”の面白さを知った私だが、
かといって「明確にこれをしたい!」というものがあるわけでもなかった。
「地元が好きだし、地元に貢献できる会社を探そう」そうぼんやりと考えていた自分は、
広島を中心に企業探しを始め6月の中旬には運よく地元金融機関から内定を頂いた。
これにてわたし、山下純の大学生活はめでたしめでたし
…とはいかなかった。
就職活動で幾度か訪れた東京に、強い衝撃と強烈な興味を抱いてしまっていた。
他の地域とは段違い、というよりオンリーワンともいえる先進性、多様性、etc…
東京でしか見られない“見たことのない世界”に心を奪われてしまったのだ。
しかし、「東京に出てみたい!」という気持ちはありながらもせっかく頂いた内定を無下にすることもできず、
悶々とした感情を抱いたまま季節は過ぎていった。
そして3月、「一旦は地元に就職して、そこからまた機を伺おう」そう考え卒業の日を待っていた。
留年した。
わずか2単位足りなかったのである。
形としてはあまり喜ばしくないが2度目の就職活動を行なうこととなり、
今度こそ東京に進出する機会を得たのである。
今度の就職活動は出遅れながらも、縁に恵まれてシアトルコンサルティングに内定を頂くこととなり、今に至る。
振り返ってみれば私の大学生活は、間違いなく恵まれていた。
新しい環境に飛び込み、見習うべき友人に出会い、多くの経験を積ませてもらい、更に新しい世界を知ることができた。
モラトリアムの期間を最大限有意義に活用できたと感じる。
「新しい世界を見ることができるか・挑戦できる環境があるか・歯車ではなく、一個人として自分が活躍できるか」
大学生活を通して得た経験は、2度目の会社選びにおいて重要なポイントになった。
そしてそれらの検討項目に合致して選んだのがシアトルコンサルティングである。
楽しいことばかりではなく、苦しいことや辛いこともあるだろう。
それでも入社が楽しみなのは、新しい世界、挑戦できる環境、一個人として活躍できると思ったからである。
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