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楽しさこそ正義

笑顔のために

物心がついたころから自分の周りには沢山の人がいた。

小学校から高校まで常に周りの輪の中心にいたと思う。
別にリーダーシップが特に優れているわけでもない。

頭が良いわけでもないし、何かで全国大会に出たりしたわけでもない。

でも、なぜか僕の周りには人が沢山いて、良い友人に恵まれ、何をするにも僕を助けてくれる人がいた。

それは、僕が周りを笑顔にする、楽しませることが好きだったからだと思う。

周りが自分の行動によって楽しんでくれることが何より嬉しかった。
その楽しい場に、笑顔がある場に僕がいることが嬉しかったのだ。

挫折

中学生からは野球部に所属。

全く強くなかったが、入った当初、ピッチャーで1番バッターだった。

ピッチャー

僕はずっと格闘技をしていて、運動はある程度得意だったので
野球部の部活もボクシングと両立して良いところまでいけるだろうと思っていた。

しかしその考えは甘かった。

途中から地元で1番強いチームの2番手のピッチャーが転属してきて、
圧倒的な力の差に打ちひしがれた。

守るポジションもなく、2番手ピッチャーとしてブルペンで投げてばかり。
たまに代打で出ても特に良い結果はでなかった。

結果だけが真実ではない

中学の部活はそのまま幕を閉じた。

ボール

副キャプテンでベンチの2番手ピッチャーとして奮闘した。

それでも野球部は僕の最高の居場所だった。

「慎太郎がいないと辞めていた」と泣いてくれた仲間もいた。

彼らの推薦で体育祭の実行委員長をして選手宣誓もした。
部活で結果は出ていなくても、僕の学校生活は充実していたのだ。

副キャプテンなのにベンチを温めて、代打でしか試合で活躍のなかった僕でも周りの友人は認めてくれた。

本当に大切なこと

高校に入って、陸上部に入部。

熱中していたボクシングのために陸上部での走り込みや筋トレは役に立つと考えたからだ。
中学でのリベンジを果たしたかった。ボクシングと陸上の両立。

陸上は個人種目で、2年生になると部長になり、
チームのメンバーのサポートもありながら県でベスト6に選ばれた。

ボクシングでも自分の納得のいく結果を得ることができた。
両立ができたことは本当に嬉しかった。

そして、大学受験を迎える。

僕にとってもっとも厳しいイベントだった。(笑)

僕は勉強ができない。

学校はギリギリ進学校だったが、3年生が始まるまで、赤点なんて何個あったか覚えていない。(笑)

なんと成績は下から5番目。

そこから1年間死ぬほど勉強した。

腱鞘炎になろうが、3回倒れようが毎日勉強した。(笑)

すると夏休みが終わる頃には上から6番目になった。

海外、やっぱ天才なのかもしれない(笑)

第一志望の立命館大学に入学することができた。

高校時代は結果が出せたと思う。
でもやはり結果こそが真実とは僕は思わない。

全てのことが、僕1人では絶対に成し得ることはできなかったことだからである。

友人や周りの人間の助けがあって、苦しいときを楽しく乗り越えること。
それが大切なのだと実感した。

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