チームで見出せた私のエンターテイナー性
私は沖縄県の那覇市で生まれ育ってきたが、公務員である母の仕事の都合で転校をしたことがある。
離島の石垣島で小学校3年生まで過ごし、小学校4年生から那覇市の小学校に転校した。
どちらの小学校も自分以外はみんな友達という環境の中に入るため、不安な気持ちはあったが、
当時は、「小さくて可愛い」と友達が寄ってきてくれ、
(ペット的な感覚だったのかな)割とどの環境にもすぐに馴染めるタイプだった。笑
エンターテイナー性の誕生
小学校高学年の頃、通っていた進学塾の勉強についていけなくて嫌になっていた。
その時、友達に吹奏楽部へ勧誘された。
私は塾を辞め、吹奏楽部に入部した。
すでに吹奏楽部には仲のいい友達がたくさんおり、毎日練習に行くのが楽しかった。
「小さくて可愛い」キャラだった私は、段々とお笑い担当っぽくなり、
当時の人気芸人のモノマネや、顧問のモノマネをこっそりやり、みんなの笑いの中心になっていた。(と思う)
部活もクラスも一緒の子と3人で毎日喧嘩して、怒られて、嫌な気持ちになったこともあったけど、
それ以上にみんなで練習し、コンクールで悔いのない演奏をし、
目標に達成するということは私にとって、最高に充実していたし、いい経験になった。
自分のために打ち込んだ中学校時代
中学校に入り、小学校で一緒にやっていた友達と迷いなく吹奏楽部に入部。
しかし、中学校の吹奏楽部は実績がなく小学生の時より緩い環境だった。
毎日おしゃべりしかしていない、そんな環境だったため、辞める人が多く、
気が付けば20人いた同級生が5人になっていた。
仲間が徐々に減り、モチベーションが上がらなかった私は部活をサボるようになった。
部活で頑張ろうと思えなかった私は、自分のために勉強を頑張ることにした。
学業に力を注いでいたおかげ?で私のレベルでは難関だった志望校に受かった。
高校でチームでの達成感、自分の在り方を再確認
志望校に入学できた私は、ダンス部に入部。
部員が1学年30名程いる全国を目指すレベルのダンス部だった。
ダンス部に入部して、一番チームワークが発揮されたのは
【高校2年の創作ダンスフェスティバル】に向けて練習したことだ。
いつもはHIPHOPなどジャンルごとに分かれて練習している30名が、
1つのチームとして、半年かけて1つの作品を創り、高校生活最大の大会に出る。
(バレーでいう春高的な)
30名もいれば意識にも違いが芽生え、チームがばらける時もある。
本番が近づくと、今までより練習がハードになり、チームの雰囲気が悪くなることもあった。
私は、ムードメーカーという強みを生かしてチームの雰囲気を明るく変えることができた。
雰囲気が明るくなることで、みんなのモチベーションは上がり、
チームは団結力を増した。本番も悔いのないダンスを披露することができた。
結果は、予選敗退に終わったが、かけがえのない仲間と青春ができたから文句無し!笑
大学生になってからも、毎年夏にはペンション、冬にはみんなで年越しを。
歳を重ねるごとにこのメンバーは一生もんだな〜と思う。照(何の話。汗)
集まれば、高校生の時に私がみんなの前でやっていたネタを毎回振ってくれて、
「懐かし〜サイッコ〜、健全だな!元気が出る」とか言って笑ってくれる。
その度に、人を笑顔にできる喜びを感じる。笑
周りが笑顔になると私も嬉しいので、
このエンターテイナー性は50代、60代…いくつになっても私の中に宿し続け、
私なりに周りの人も巻き込んで人生を明るく楽しくしていきたい!
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