いくつになっても考えること、学ぶことを忘れない人間でありたい
広中平祐氏の「生きること 学ぶこと」に学ぶ
過去編で、ひとは毎日が選択の連続であり、昨日の選択が今日の自分に繋がっているという話を書いた。
また、わたし自身の人生を振り返ってみると、
消去法によって導かれた選択が多かった、というのが見えてきた。
それによって、後悔を生むよりもまず「あの時はそれしか選択肢がなかったのだから仕方がない」と、
妥協せざるを得ない状況だったと自身を宥める人生を歩んできたことがわかった。
この本は、そんなわたしに、改めて後悔をさせてくれる存在となった。
わたしがこの本に出会ったのは、つい最近のこと。
著者の広中氏は、日本人で二人目のフィールズ賞(数学のノーベル化学賞)を受賞した数学者である。
そんな才能溢れた広中氏は、本書のなかでたくさんの失敗談や自身の平凡さを語り、
生きることと学ぶことの関係を説き、そして若者たちに向けて、さまざまな言葉をかけてくれている。
以下はその一部である。
“自分自身で素心になり深く考え、その結果、最も賢明な選択をすることだけが、残された唯一の方法”
── 過去のわたしは消去法が多かった。
その選択は、本当に妥協は無かったのか。
考え抜いた結果だったのか。
問われると、首を横に振る結果となりそうだ。
“これから最も要求されるのは、自分自身の判断力(多様な人生を生き抜く選択の知恵である)と考える力だ”
── 著者は、生きることは学ぶことだという。
生きるために学び、学ぶために生き、考え、創造する。
自身の判断力を高めなければ、先の見えない現在の多様性と変動に対処することはできない。
だから、判断力を高めるために、いくつになっても考えること、学ぶことを忘れない人間でありたい。
「欲望と必要」より
“創造活動を支える背景には、「こんなものが創れたらいいな」と無心に思う欲望の念や、欠乏しているものをひたすらに求める渇望の念がなければならない”
──needsとwantの違いは、過去と現在から導かれたものなのか、それとも現在と未来から導かれるものなのか、ということ。
過去と現在から導かれたものをneedsとすると、それはあくまでも経験に基づいている。
一方、wantは、現在と未来から導かれるものであり、まだ見ぬ未来に向けた内面からにじみ出る爆発的な希望のようなものである。
これから先、長い間労働者として社会に貢献していかなければならないわたしにとって、
この「こんなものを創れたらいいな」という気持ちや、
爆発的な希望のようなものを求める気持ちは、もっとも大切にしなければならないものである。
また、IT技術こそがこのwantを叶えることができる。
過去の経験から導くAIの知能と組み合わせたアイディアの飛躍を目指したい。
読書の数
「考え抜ける人、学び続ける人」と「そうでない人」との違いは、
読んだ本の内容やその数によって現れるのではないかと思う。
わたしは自己啓発本なるものを読むのが好きである。
一見すると、「そんなの当たり前の事じゃないか」と思ってしまいそうな事を、
改めて畏まった文章で説かれると「ああたしかに」と妙に納得して、鵜呑みにして、
自己判断の知識として取り入れようとする自分の素直さが嫌いじゃないのだ。
だから、啓発してくれる存在(本や人間)がそばにあるのは有難いと思う。
大人の言葉は、大抵の場合わたしよりもたくさんの物事を考え判断した結果、導かれたものである。
本の作者だって、そのほとんどが書いた本の数より読んだ数の方が多い。文章に信憑性があるのも頷ける。
おわりに
生きることが学ぶことだとすると、生きてる限り学び続けることになる。
知識も知恵もAI技術に押される中、学びから生まれる未来へ向けたアイディア、発想力を磨いていきたい。
また、この世は学びの連鎖である。
誰かの教えが、別の誰かの学びとなり、その人の教えが、わたしの学びとなる。
わたしはその学びの連鎖を止めることがないよう、時に教え、常に学び続ける大人になりたい。
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