穴ぼこだらけの18年間
演じ続けた18年間
小学校の頃は正義感が強く、挨拶もきちんとして校則も守る、
いわゆる「いい子」として振舞ってきた。
中学、高校では野球部に所属していたが、
その中ではよく言えば“愛されキャラ”
悪く言えば“いじられキャラ”
として過ごした。
それらの振舞いは自身の居場所を確保する手段として用いていた、
そしてそれは私に、誰とでもうまくやるスキル、相手の感情を読み取るスキルを与えてくれた。
今思えば厳格な父の影響もあったかもしれない。
父が笑わない分、誰かに気に入られようと必死だったのだ。
だがそうした振舞いは一方で、
自分自身が本当はどういった人間なのか、何を好きなのか、どう考えるのか、
といったことを見えにくくしていった。
努力嫌い
もう一つの特徴として、私は努力したがらなかった。
自分で言うのは気が引けるが小学校からそこそこ勉強はできた方で、
テストはいつも満点近い点数を取れていた(算数、数学を除く)。
必死に塾に通ったり先生に質問しに行く周りの子と自身を対比して、
ちょっとした優越感に浸っていた自分がいた。
そのうち、そうした自分を過信するようになった。
自分はしなくてもできるのだから努力なんて必要ない、
努力していない自分がどこまで通用するのか試してみたいという気持ちだった。
しかしそうした態度は、次第に自分を追い込んでいった。
「努力=したくない事」を避け続けるうちに最低限のことしかしなくなった。
そしてそれは悪化し、宿題、部活の自主練など“やらなければならない事”ですら極力避けるようになったのである。
努力してない自分から残ったもの
まとめると、私の日常は惰性に満ちていたのだ。
今が大丈夫だから無問題。
そこそこの実力があるから気にしなくていい。
これはやらなくてもなんとかなる。
やらないといけないけど後でいい…
その結果として、実力の出し方も忘れてしまった。
中学高校の野球部では練習を“こなす”ことに明け暮れ、
大学受験はセンター試験の結果から大学を選び…
楽しい思い出も残ったが後悔も残った。
自分の中に残ったものはほとんどなかった。
後悔先に立たず、これからの自分
高校までの日常では自分を演じたり逃げたり避けたり、
そういった消極的なことに多大なエネルギーを消費した。
その結果として中身の薄い自分が出来上がり、
貴重な青春時代を後味の悪いものにしてしまった。
“後悔先に立たず”である。
ならば、その後悔がこの先ずっと立たないよう事前に対策してしまおう。
それが今の私の考えだ。
自分が何を欲しているか見つめ、逆算し、今の自分が何をすべきか導き出す。
そしてそれに全力で取り組む。
今まで、努力せずともそこそこの人生を送ってきた人間である。
そんな人物が全力を出し、がむしゃらになった時何が起きるのか…
自分でもワクワクする。
周囲の方々や、この記事をご覧になっているあなたにもワクワクしながら見守っていただきたい。
ここまで言ったのだからやるしかない、やってやる。乞う、ご期待ください。
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